吐きそうむかつく超きらい

ここだけは何もかもゆるされるということにしているので、できるだけ私は悪くないの精神でいたい。ちょっと予想外に打ちのめされてたときに予想外にやることが増えてキャパオーバーでボロボロになってしまった。気にかけてくれた人もいたんだけど、その人のことも結果的に…その人のことは批判するつもりがないんだけど、でも聞いてたらきっとその人もいやな気持になるだろうなってそれがわかっていながら愚痴をたくさん言ってしまって、自己嫌悪して、自分の毒でおかしくなって…という。本当にバカみたいだし今までずっとこんなことをしてるからなんにも進歩がなくてクソだ。

 

知人から「お前のカラオケの選曲でお前の恋愛観よくわかった、病んでんな~」(要約)ということを言われてめちゃくちゃ悲しくなってしまった。「わかってほしいとか思わないけどわかんないってちょっとどうかと思う」案件だ…

その頃(今もだけど)私が歌ってたのと言えば、これ、列挙することでそういう風になっちゃいそうでいやだから列挙したくなさもあるんですけど、靖子ちゃん、倉橋ヨエコさん、安藤裕子さん…とか、なんですけど、たしかに恋愛の歌があって、ちょっと病んでる(って私は言いたくないって話なんですけど)と思われそうな歌詞というか、恋愛してる人の切実さ痛さを描いてる歌詞もあるとは思うんですけど、なんか本当、わかった風にいわないで…ってなってしまって。

 

そういえば靖子ちゃんが絶対少女の「君と映画」のライナーノーツで、

好きな漫画とか映画とかを神様みたいに尊く思う気持ちと、すきな作品を紹介するときの自分のかみさまをみせあいっこするみたいな気恥ずかしさと、みてきた映画とか漫画とかテレビとかだけで自分が形成されてたらどうしよう、誰かの思い通りじゃん、誰かを憎いと思ったり、愛しいと思ったりすることすら操作されているかもしれない怖い!っていう恐怖と。(以下省略)

というのがあったんだけど。これ超「わかる…」ってなって。みてきた映画とか漫画とかテレビとかで自分が構成されてる、少なくともどこかしらで影響を受けてるって感覚はあるし、だからこそ好きな作品を語るのって超恥ずかしい。カラオケもそうで、確かに、私の選曲で私のことがわかるって言われるのもわかる、私も同じ感覚になることがある、のだけど、でも実際口に出してわかるって言われるとうーんってなるし病んでるって言われるとますますちゃうわおめー何にもわかってないわ…ってなっちゃって。

確かに私のことが少しわかるかもしれないけど全部はわかんないってわかってる?とか、病んでるって簡単に言うけどちょっと面倒くさいとかちょっと痛いとかちょっと重いとかそういうの全部適当に病んでるっていう感受性!!!!とか、うーん、このあたり本当わかってもらえない人には本当にわかってもらえない、書くのすら絶望的だけど、なんでわかんないかな…とおもっちゃって…まとまんない…

それとは矛盾する話を、君と映画、映画つながりで…靖子ちゃんが道重さゆみさんに提供した「EIGAをみてよ」の話がしたいんですけど。 

この映画のさきに わたしを映してほしいの
心を覗かれたい それでもかわいいって言えよ
この映画のさきにわたしを映して欲しいの

とか

この映画をみてよ わたしがすこしわかるから

とか…君と映画の、「みてきた映画とかで自分が構成されてるかもしれない、怖い」感覚と、EIGAをみてよの「この映画を見れば私がわかる」「私自身じゃなくてこの映画を見てほしい、その先に私がいるから」っていう感覚、両方ともあると思うんですよ…

私が選んだ作品で「わたし」のことわかんないでほしい、という気持ちと、私が選んだ作品から間接的に「わたし」のことわかってほしい、という気持ち、矛盾しているけど両立している。

だからカラオケの選曲で価値観わかるって言われて腹立ててんのおかしいな…って自分でも思うんですけど結局はその相手に「この人は自分のことを(ある程度)わかってくれている」という感覚を持ててなかったってだけかってこのブログ書きながら気付きました。急に結論が出た。

 

追記:でもやっぱりカラオケの選曲であんまり人のこと判断しないほうがいいよな、私もしちゃうんだけど。カラオケでこれ歌う人とはぜったい仲良くなれない、みたいなのあるけど、でも私だって歌詞は好きじゃないけどメロディは好きだから歌う、とかあるし。この歌聞いてるからこの性格、この価値観、ていうのは暴力的なゲームやってるから暴力性が高い…みたいなのと一緒な気もするし。でもやっぱカラオケで○○とか××とか歌う人超無理!!!ってやっぱあるよね、私も同じこと思われてんだろうな。