大森靖子ちゃん「PS」について

靖子ちゃんがファンの曲の感想とか考察とか見るの好きって言ってたし、でもまあ靖子ちゃんに届くことはなかなかないだろという感じだけど、自己満足で時々書きたいと思います あたま悪くて考察とかできないので感想書き散らしたり、無理やり曲を自分に寄せた上で自分の話をするとかしかできないけど でもなんか普通に誰に見てもらうとかじゃなく残したいなという気持ちはあるので…

 

プレイリストに持ってる音源は全曲ぶちこんでランダム再生で1曲選んでく、ということにします

 

今日は「PS」でした

PSは追伸のPSで合ってるかな、「p.s. わたしたちは、若くて、馬鹿で、きっとすぐ忘れてしまうけど、わたしのふるさとだけは、覚えていてね」ということだと思ってたけど靖子ちゃんだし他にも色々意味が込められてたら面白いな

 

歌詞、ほんとに全部のフレーズが詩としてあっいいな美しいな…と思った曲で、短編小説一本読んだような気になれます。

自分はあんまり恋愛してないので自分に重ねて共感とかはできないけど、そうでなくてもそれ自体の美しさとか切なさとかを感じることはできる…つもりで、この歌は自分の歌じゃないけど歌を聴いて思い浮かべた情景が美しいな好きだな、という風に思う歌です。

 

「出会ったばかりなのに 抱きしめたそのわけを 朝 洗面所鏡ごしに目があってきづいた」

出会ったばかりの人に対しては警戒心むき出して睨みつけてるタイプなので、だからこそこんなの超いいな…と思ってしまった

 

「今日こそはという毎日を きみも重ねてきたんでしょ」

恋愛に限らずだけど、私が人に対して潔癖であること、本来好き嫌い激しいわりになんだかんだ大体の人のことは受け入れてしまう、許してしまうことの理由はこれだなと思っている

どんだけムカつく人でもクソだなと思う人でもこの人にはこの人の憂鬱がある、生きてきた一日一日、切実さがあるのかも…と思うと生まれてしまった敵意とか殺意とか、それはもう煮えたぎってたとしても、冷水ぶっかけられたような気分になって罪悪感までおぼえてしまうことがある。同時になんでこんなやつのために私が後ろめたくならなあかんのや…というのもあるけど、でも本当にできるだけ、ひとりひとりがちゃんと生きてるということを、ほんとは軽視したくなくて…(これは予防線ですが普通に無理!と思うひとのことは軽視しちゃうこともあるよ自分のほうが大事だから…)

それが好きな人たち相手なら尚更で、好きな人たちの人生、重ねてきたものを思うと普通に胸が痛くなってしまえる。想像力がこういうことに関してだけはめちゃくちゃに豊かで(ゆがんでるかもしれないけど)、相手からしたら勝手なことを…という話かもしれないけど…

靖子ちゃんが、よくMCとかでみんなが一日一日を重ねて生き延びてきて会いにきてくれたことが嬉しい、みたいなことを言ってくれている。私が大事にしたいと思いつつできなかったりすることを、お客さん全員に対して本気でやってくれる靖子ちゃんがまぶしい。本気で、圧倒的な説得力でもってファンのこと大事にしてくれる靖子ちゃんが本当に好きです

 

「銀色の車で 一人暮らしのゆううつをさらわれてわたしはくさってくばかり」

絶対少女全曲解説に、一人暮らしの孤独だけが武器と思っていたから、恋をしたとき罪深いなと思った…という言葉があった。

武器というのは靖子ちゃんの音楽活動においてのことかなと思うし、全然違う話かもしれないけど、自分もいま一人暮らしで、一人暮らしの憂鬱と孤独があって、それゆえの強さだって得たつもりでいる。でもそれが、だれかを好きになったりしてしまっているとき、そうでなくても、適当なひととぬるい関係でお茶濁してるとき、すごく揺らいでしまう気がする。

恋愛に重きを置いて生きてないつもりだけど、一度片足でもつけてしまうとそのままズブズブ沈んでしまいがちなので、人生全部ひっくり返されたような気持ちになってしまう。大体実生活にも普通に影響してしまって部屋が散らかったりジャンクフード食べまくったりしちゃう…

この曲を初めて聴いたときはまだ実家でぬくぬくしてた頃で、そのときはこのフレーズにはそこまで何も思わなかったんだけど、一人暮らしを始めて、なんだ私意外としっかりしてるじゃん、と思ったあと恋愛なんかでグラグラになってしまって、また改めてこの歌詞に触れたとき、ウワーーーーーーーてなってしまった。